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保健所発祥之地碑を見てきた
所沢駅の東口近くに「保健所発祥之地碑」があります。全然気にしていなかったから、何か石碑があるな~ぐらいにしか思っていなかったんですけれど。選挙で保健所の復活をって公約に掲げている人がいたんで、そういや所沢保健所は2010年(平成22年)に廃止されちゃったことを思い出したんですよね。今になって復活をさせようという人たちが出てきたのは、新型コロナウイルスのパンデミックがあったからですね。
所沢の保健所を調べてみたら、1937年に所沢と東京の京橋に日本初の農村保健館が建てられたというのを知って、「おいぉぃ、発祥の地なのに廃止していたのかよ」と驚き。保健所の目的はそもそも地域の難病などの相談や、結核なんかの感染症対策、薬や食品衛生といった環境衛生面を監視して指導するためのもの。つまりは、そもそも廃止しちゃダメな施設なわけですよねぇ。無能な議員が廃止して、コロナを体験して必要性がやっとわかったらしい。先人の知見で備えていたものを台無しにした愚策は、肝心なときに市外を頼らないといけないという結果になったわけですね。
所沢保健所は廃止時に狭山保健所(狭山市)に統合されています。最寄り駅は西武池袋線の入間市駅だったりする💦
保健所発祥の地碑
所沢駅東口のロータリーに「保健所発祥の地碑」はあります。
昭和12(1937)年、公衆衛生の技術者養成の機関として、公衆衛生院、都市保健館、農村保健館が米国のロックフェラー財団の寄付により開設されました。 このうちの農村保健館が所沢にあり、全国の保健所の先駆けとなりました。
農村保健館は昭和16(1941)年に所沢保健所と改称し、昭和39(1964)年にけやき台に新築された庁舎に移転し、平成22年に狭山保健所に統合されるまで業務を行いました。
当時の建物は現在、残っていませんが、くすのき台の長者久保(ちょうじゃくぼ)公園に「農村保健館跡」の碑があります。
こちらの碑も「保健所発祥の地碑」と共に、農村保健館設立から40年にあたる昭和52(1977)年に制作されていましたが、所沢駅東口の区画整理により 保健所の倉庫で保管されていました。ようやく設置されたのは、区画整理がほぼ完成した昭和60(1985)年でした。
実際の跡地はこの碑から南東方向に約173m行った所で、武蔵野銀行所沢駅前支店前の歩道に金属の標識で「農村保険館跡」が立っています。
https://www.tokorozawa-library.jp/contents/history/history_hassyo.html
所沢図書館より引用
記念碑の写真
興味を持った人じゃないと石碑はなかなか見に行こうってなりませんよね。遠出ならばなおさら。まあ、このところザワの石碑は駅のロータリーのところにあるし、実際にあった場所の記念碑もそこから少し歩く程度だからすぐに見ることができますね。わざわざ見に行くほどのものかって思う人も多そう💦
なお、所沢駅から少し離れた公園にも記念碑があることを知ったのは撮影してきた翌日のことでした。また気が向いた時に撮りにいってきます。西武HDの株主優待で西武線全線を無料で乗車できる株主乗車証を持っているし、小手指駅から所沢駅は2駅と近いですから。
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